アロマテラピーの歴史-中世~近世

古代から素焼きの壺を使い精油の蒸留が行われていた形跡がありましたが、10世紀末~11世紀にかけて、アラビアで錬金術の発展とともに蒸留技術も発展し、アルコールや芳香蒸留水が作られるようになります。

アラビアでのこの発見がのちに十字軍の遠征によってヨーロッパにもたらされ、さらなる発展となります。

 

イブン・シーナはイスラム世界アラビアで活躍した哲学者・医学者です。アリストテレスの哲学を修得し独自の哲学「現存するものはすべて必然である」という存在論を展開しています。著書「医学典範(カノン)」は17世紀までヨーロッパの医科大学で教科書として使われました。また、それまでの蒸留法を発展させ、精油の水蒸気蒸留法を確立し医学に応用させました。精油の製造と医学への応用はアロマテラピーの原型といっても過言ではありません。

 

キリスト教・ユダヤ教・イスラム教が共通の聖地としているエルサレムが、1071年にイスラム教徒に占拠され、これに対しローマ教皇はエルサレムの聖墳墓奪還を最終目的として十字軍を派遣しました。1095年の十字軍宣言から1291年の悪化ー陥落まで約200年にわたる派遣で多くの人々が地中海世界東西を行き交い、ハーブや薬草、アラビア医学、精油蒸留法などがヨーロッパへもたらされました。

 

中世ヨーロッパでは特権階級のために、協会・修道院を中心にギリシア・ローマ医学を継承した薬学中心の僧院医学が行われていました。中世半ば過ぎると医師という職業が必要になり、1050年イタリア南部の都市サレルノにサレルノ医科大学が設立されました。ギリシア・ローマ・アラビア・ユダヤの分化が認められ、多くの文化圏の知識を吸収し、10世紀にはフランスやイギリスの王族が養生に訪れるほど有名でヒポクラテスの町と呼ばれました。健康を保つ方法などを詩であらわした「サレルノ養生訓」はヨーロッパ全土にもたらされました。

 

キリスト今日・イスラム教・ユダヤ教の共存が許されていた南フランスの町モンペリエでは、1220年に医学教師たちのギルド(組合)が設立し、領主による医師免許制度が確率されていきました。1289年に統合されたモンペリエ大学では国政・宗教問わず医学が教えられ、サレルノをしのぐ医学の中心地となりました。

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