アロマテラピーの歴史-中世~近世②

中世ヨーロッパで医学が確立されるなか精油やハーブを利用する技術が取り入れられ、16世紀ごろから薬用植物の研究が盛んになり、ハーバリスト達が活躍します。

ジョン・ジェラードはロンドンのホルボーンに薬草園を開き、1597年「本草あるいは一般の植物誌」に植物の観察をまとめました。

医師で占星術師のニコラス・カルペッパーは自然の薬草を使用することや自分の健康を自分で守ることを主張し、1616年薬草・ハーブに占星術を取り入れた「The English Physitians」を出版します。

博物者ジョン・パーキンソンは清教徒革命で処刑されたチャールズ1世に仕えた人物で、1640年に「広範囲の本草学書」を著しました。

この3つの本は、新大陸アメリカへの移住者たちに好んで携えられ、多くが大西洋を渡りました。

 

アルコールと精油が出会ったことで香水が生まれ、各地の修道院では手洗いや医療用に香水がつくられていました。また、ペスト・コレラ・天然痘などの伝染病が流行すると、精油を利用した治療が行われ、空気の消毒のためにフランキンセンス・コショウ・ローズマリーなどが焚かれました。芳香物質は当時最高の消毒剤だったのです。

 

『ハンガリー王妃の水』(ハンガリアンウォーター)は14世紀のハンガリーの王妃エリザベート1世の手足が痛む病気の回復のために修道院の僧がローズマリーを主体に作った痛み止めを献上したところ、状態が回復したというもので、化粧水として使ったところ美しさがよみがえって70歳を超えた王妃に、隣国ポーランドの40代の王子が求婚したというエピソードから「若返りの水」とも呼ばれます。

 

『ケルンの水』は1709年、ドイツの町ケルンに移り済んだイタリア人理髪師フェミニスが「オーアドミラブル」(すばらしい水)として製造販売された最古の香水で胃薬というもので、1714年に「エヒトケルニッシュ・ヴァッサー」(ケルンの水)という名でオーアドミラブルを引き継ぐ香水が作られました。ケルンの水がフランス語読みされた名前がオーデコロンです。

<アロマテラピーの歴史-近現代>をみる

カテゴリー: ブログ